「終活」の大本命はこれだ!自分の最期は自分で決めましょう。

「俺が死んだら適当に葬式して散骨でもなんでもしてくれ。」

こんな無責任発言は親族に迷惑千万です。

自分の最後を自分で決めることが、終活という枠組みにおいてスマートな時代になりました。

そこのあなた、ようこそ、終活へ。

日常的な病院でのある日の出来事

最近はほとんどの方が病院で亡くなると言われています。

病院で亡くなるといったん霊安室に運ばれることになります。

病院の提携の葬儀社が常駐している場合もあり、その場合、葬儀社の人が
霊安室まで搬送することもあります。

そのタイミングで「お決まりの葬儀社はありますか?」と聞かれ、
葬儀社が決まっていなければ、成り行き上、待ち受けていた提携葬儀社に
お願いするケースが多くあります。

自分のお葬式の葬儀社は決めておいたほうがいい理由とは?

ひと昔前は自分の「お葬式」や「お墓」について論ずることさえ「縁起でもない」
と考える風潮かがありましたが、今では終活のメインテーマに昇格しています。

亡くなった方の葬儀社を決めていないだけでなく、不勉強だったばかりに、
葬儀社の言いなりの葬儀となり、不必要なコストが嵩んだという話は、
あまり聞かない話ではありませんよね。

もちろん、お葬式も様々なニーズに応える形に様変わりして、
いろいろ取捨選択できる完全な買手市場のはずです。

自分のお葬式を考える時間は昔とまったく違うのです

1960年代の男性の平均寿命は65歳くらいでした。

企業の定年が60歳とされたのも理解できます。

昔はお父さんが定年したら5年くらいで亡くなるケースが普通にありました。

人口も増加傾向なので、社会保障制度の設計も簡単だったはずですよね。

ところが、いまや男性でも寿命が80歳に到達し、定年延長があるにせよ、
人生100年の時代がすぐそこまできています。

みなさんが、終活やお葬式について考える時間は現役引退後、山ほどあるのです。

終活について、少しは考えてもいいのではないでしょうか?

家族葬が台頭している理由は?今後はどうなるの?

1960年代の日本は高度経済成長期を謳歌していた時期でもあり、
亡くなった方も定年からそれほど経っていないので、
お葬式の参列者も会社関係者の方とかも含めて本当に多く集まりました。

あの頃の名残りで、今でもお葬式の弔問者の数でその人の価値が決まる、
みたいな感覚の人もいますよね。

考え方は人それぞれなのですが、高齢化が進み、長生きすればするほど
友人や近親者は少なくなりますし、会社関係の人ともすっかり疎遠になっていますよね。

そんな結果、今では大規模なお葬式は少数派になり、家族規模で行う家族葬が主流になりました。

また、費用を安く抑えたいという思惑も当然あるわけです。

家族葬の定義は曖昧ですが、小規模のお葬式ということになります。

どんなお葬式がいいのか?それは誰にもわからないけど、あなたが決めましょう

自分のお葬式をどうするか?

終活のメインテーマなのですが、なかなか参列経験が少なく、
自分の理想像に結び付くまでの情報も不足していますよね。

葬儀会社に生前相談をするしかないわけなのですが、
結局予算を大幅に超える見積になったりするものです。

お葬式も確実に予算ありきだと考え、しっかりと予算内に収まるような
見積をしてもらうことです。

葬儀社主導でなく、「なんでこの骨壺こんなに高いの?」「この棺桶何でこんなに高いの?」
とか自分主導でどんどん質問することです。

そして想定予算内に収まるようしっかりと決めておきましょう。

お葬式は確実に買い手市場なのですから。

まとめ

みなさん、それぞれの経済状態がありますので、断言はできませんが、
葬儀社への相談にはできるだけ近親者を伴って、1社だけでなく、2社以上の話を聞きましょう。

そして比較検討をしましょう。

「そんな、縁起でもない」という考えとはさよならしましょう。

そして、必要かどうかの判断の基準を明確にしましょう。

事前の見積はとても大切です。

病院で待ち受ける葬儀社
「葬儀社は決まっていませんので、とにかくよろしくお願いします。」ではなく、
「葬儀社は決まっています。これから依頼の電話をします。」
と言える状況を構築しておいてください。

これができれば、あなたの終活は、ほぼ成功というか、大成功です。

(葬祭の窓口ライター)

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